「天草の﨑津集落」は熊本県天草市河浦町に位置する小さな漁村です。
禁教期に仏教、神道、キリスト教が共存し、漁村特有の信仰形態を育んだ地として
「天草の崎津集落」を構成資産に含む「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が
平成30(2018)年7月に世界文化遺産に登録されました。

ここは、永遠のパライゾ
静かな海が語り継ぐ、祈りの記憶

漁村の暮らしから生まれた信仰のカタチ
﨑津では1569年、イエズス会宣教師アルメイダによって布教が始まり、ほとんどの村びとがキリスト教徒となったと伝えられています。隣村には、宣教師養成の「コレジヨ」が設置され、天正遣欧少年使節も学んだほど、﨑津は当時、重要な信仰拠点として記録されています。1614年の禁教令後も、﨑津では多くの「潜伏キリシタン」が密かに信仰を守り続けました。「島原・天草一揆」後には表向き寺社に属しましたが、村人は毎年、庄屋役宅で行われる「絵踏」で、キリストや聖母マリアの像を踏まされました。それでも「水方」と呼ばれる指導者を中心に信仰組織が存続し、洗礼や祭礼などの儀礼が受け継がれていったのです。﨑津は古くから漁業を生業とする漁村で、禁教時代もその暮らしは続いていました。潜伏キリシタンたちはデウスを豊漁の神として崇め、アワビやタイラギの貝殻の模様を聖母マリアに見立てた「信心具」を隠れ持って信仰するなど、漁村の生活と結びついた独特の信仰文化が育まれました。
信仰復活の象徴・﨑津教会と生きる
﨑津の潜伏キリシタンは発覚を避けるため、表向きは仏教や神道の信者として暮らしながら密かに信仰を守っていました。しかし1804年、独特の信仰習慣から潜伏キリシタンの存在が発覚し、翌年には周辺村を含め多くの住民が検挙されます。この大規模な摘発は「天草崩れ」と呼ばれています。
1873年のキリスト教解禁後、潜伏キリシタンはカトリックへ復帰し、まず諏訪神社の下に木造教会を建てました。1934年には、かつて絵踏が行われた庄屋役宅跡に「﨑津教会」が建設されます。鉄川与助の設計による畳敷きの教会で、長い潜伏の歴史を経た信仰復活の象徴となっています。
今も変わらぬ敬けんな祈りの聖地
﨑津教会

1934年、現在の﨑津教会が建てられました。キリシタンが弾圧された絵踏みが行われていた庄屋役宅に、「復活の象徴となる教会を建てたい」というハルブ神父の強い願いにより、教会は神父の私財や信者の寄付金、信者の労働奉仕により完成し、現在も信仰の復活を示す集落のシンボルとして、守り継がれています。尖塔に十字架を掲げたゴシック様式の教会内部は、全国でも珍しい畳敷きとなっており、祭壇は「絵踏」が行われていた場所に設置されたと伝えられています。今も変わることなく信仰の厚い人々が敬けんな祈りを捧げる聖地となっています。
宗教を超えた﨑津の守り神
﨑津諏訪神社

「﨑津諏訪神社」は、禁教期の1647年に“豊漁・海上安全祈願”のために創建された村の守り神です。当時、表向きは仏教徒や神社の氏子になったキリシタンの村びとたちは、参拝しては密に「あんめんりゆす=アーメンデウス」と唱え、洗礼やオラショ(祈りの言葉)を守り伝えながら信仰を続けました。1805年の「天草崩れ」では、潜伏キリシタンが所有していた「信心具」を差し出すように指定された場所としても知られています。創建当時からほどなく建てられた鳥居は今も健在で、天草市で最古の鳥居となっています。
﨑津諏訪神社
- 住所:熊本県天草市河浦町崎津505
- TEL:0969-78-6000(天草市﨑津ガイダンスセンター)
﨑津集落の歴史と情報を発信
天草市﨑津ガイダンスセンター


「天草市﨑津ガイダンスセンター」は、世界文化遺産・﨑津集落の歴史や潜伏キリシタンの文化を分かりやすく紹介する施設です。映像や展示を通して集落の成り立ちや信仰の歴史を学ぶことができ、﨑津散策の拠点としておすすめの施設です。「﨑津教会」の拝観を希望される方は、教会行事などで拝観できないこともありますので、「天草市﨑津ガイダンスセンター」まで、必ず予約をお願いします。 文化財として「﨑津教会」の保全・保護のためにご協力をお願いします。
天草市﨑津ガイダンスセンター
- 住所:熊本県天草市河浦町崎津1117-10
- TEL:0969-78-6000
